ひとことネット講座 ネットでまちづくり1(広報)-実名SNSの登場(社会的ネットワーク)

前3号に渡り、安心して使うために抑えたいポイントをまとめて来ましたが、今回からはまちづくりとインターネットの関係についてです。

高速なインターネットが普及してから、一方的なホームページ閲覧型に、双方向コミュニケーション型のSNSが加わり、ネットでまちづくりがみえる状態に変化しました。

個人や団体が仮想現実としてコミュニケーションを図ることが可能で、その記録を多くの人が閲覧できます。

記録が残るので客観性のある発言が必要で、人物も組織も理論も、前向きで客観性あるものが中心になる傾向にあります。実名SNSの登場が、「ネットでまちづくり」という所以(ゆえん)なのです。

駐在所より 田中富美雄(小淵沢警察官駐在所)-あんしん あんぜん こぶちさわ

春は新入学・新入園と新たな生活のスタートの時期。小さなお子さんたちも今までとは違った新たな生活を始め、道路への飛び出しなどによる事故の多い時期です。ドライバーの皆さんの注意が、子どもを事故から救います。

現在も振り込め詐欺による高齢者の被害防止が課題になっています。我が子・孫、弁護士、警察官、市役所職員、銀行員など信頼できる肩書きを語るなど、あの手この手で、騙(だま)そうとします。例えお金が帰ってくる話でも、必ず誰かと相談しましょう。

いずれもまちの皆様と対話が防犯の第一歩です。お気軽にお声がけください。

「北杜おまわりさんコンサート」(ドリルと合同演奏)が6月1・2日に白州体育館に於いて、国文祭として開催され、警察音楽隊として演奏します。詳細は北杜市より発表されますので、ご確認の上是非お越しください。

社説 公共事業にみる-解決の緒は何処に

自宅を工事する時、皆さんはどの様に業者を選び、工事内容を決定するでしょうか。

過去の検証のもと業者との話し合い、納得し合意を交わしながらまず計画をまとめ、工事中もしっかりとした手順での確認や合意が行われるのが通例ではないでしょうか。

納得行く結果を生むためには、検証と合意形成の質が重要な判断材料といえます。他の日常的な買い物でも、同じ事が言えそうです。

しかし公共事業では、直接の事業主立場にあるのは首長と行政の担当であり、事業ごとに民意や自治体総合計画との調整が必要となり、合意形成の手順も煩雑で、資金面でも補助金などの調整が難しく、事業主に求められることの多い状態と言えます。

少人口の市町村では、専門家的担当者を配置するのは難しく、重ねて首長の合意形成意識が薄い場合、住民不安からの反対運動や、市民説明会が紛糾することがあります。

更に元国営民間企業が関わる公共事業では、当たり前の様に行われてきたことが、民間としては成り立たない場合でも改善されないこともあり、特に事業への関わり方や費用負担などの面で、結果として説明責任が果たされず、批判が相次ぐことがあります。

この25日の広島高裁での一票の格差への違憲選挙無効という判決も、「しっかりとした問題提起の上で、市民理解あっての多数決が民主主義。」という意識が未だ徹底していない現れで、質のいい検証と合意形成が、国も地方も問われる現状があります。

市民に出来ることは、そういったことに注視しつつも、首長も担当者も市民と一緒にその事業をつくっているという視点に帰り対応することが、好結果の近道になると言えそうです。

まちこぶ環境部より参加報告-第2回山梨県 美しい県土づくり推進大会

2月1日にベルクラシック甲府にて、県内各地から景観形成の取り組みをしている団体を集め、推進会議とポスターセッションが行われ、㈲まちづくり小淵沢環境部も参加しました。

本年は県が世界に誇る自然景観や集落景観をはじめとする美しい県土を、さらに磨き上げ次の世代に継承していく活動等を表彰する「美しい県土づくり大賞」も創設され、北杜市の団体からも「八ヶ岳南麓風景街道の会」「自然いろシート普及委員会」が奨励賞を受賞しました。

山梨の良さを活かすこの大会から、様々な団体との協働が、今後期待されます。

いいこと探訪4 小淵沢ペンション振興会-「風のたより」編集会議

小淵沢ペンション振興会が発行する「八ヶ岳 風のたより」。秋深い11月の編集会議と12月の貼付作業にお邪魔させていただいてきました。

1997年の夏に創刊された「風のたより」は季節ごとに発行され、おじゃまさせていただいた時で62号、既にこの春63号が発行されました。(小淵沢駅前観光案内所などでも手に入ります。)

年月を重ねる中で、時代の流れに沿うように、参加するペンション総数は少なくなったものの、活気ある編集光景を拝見させていただくことが出来ました。

編集会議は、メンバーであるペンションオーナーの方々の井戸端的な情報交換から始まり、記事構成が行われ、担当記事などの役割分担確認が行われます。貼付け作業では、パソコンでの文字起こし切り貼り作業、そして当誌の特徴とも言える小見出し文字が、最後に書き加えられ、印刷まで分担され完成します。

和気藹(あい)々と歌も飛び出す編集作業からは、紙面からも溢れる楽しさを感じます。

内容は、季節ごとに楽しめるこの八ヶ岳の情報や文化などが満載で、この地に訪れる人がここを楽しんでいただくには、欠かせない情報誌の一つと言えます。

こういったまちづくりに欠かせない場がありましたら、是非情報をお寄せください。

(まちこぶ広報)

地方自治はおもしろい1-地方自治の主人公は市民

日本では江戸時代も、明治政府ができてからも市民自らが「政府をつくる」という経験をしないまま、上からの制度が押し付けられてきました。政府は我々の「上」にある存在として国や地方を統治し続けてきました。明治維新は大きな体制の転換ではあったのですが、「市民革命」と呼べるようなものではなかったのです。山県有朋が内務大臣のとき戦前の地方制度の根幹は定まったのですが、国の意向が上意下達でいかに迅速に、しかも徹底するかが彼の関心事でした。戦後の民主化の中で憲法が改正され、現行憲法のもとで地方自治制度ができましたが、それでも私たちが地方政府をつくったわけではなく、戦前と同様全国一律に国が地方自治体をつくりました。

そんなことは当たり前と私たちは思っていますが、米国では地方自治体は地域の人たちが「自治体を創ろう」と都市宣言を行って初めて創られます。自治体が必要ないと皆が考えていれば、自治体は存在しません。自治体は自らが選びとるものです。どんな仕組みで自治体経営をしていくかも都市宣言の中で決めることになっています。イギリスでも自治体よりもっと狭い地域を対象にした「パリッシュ」という自治組織が認められていて、自分たちで行うことを自分たちで選んで活動しています。パリッシュをつくるかどうかもやはりその地域の人たちが自分で決めるのです。

私たちは「なぜ、地方自治体が必要なのだろうか」「なぜ、行政があるのだろうか」と考える機会を持たないまま、制度として上から与えられたことに従ってきました。今ではそんなことはなくなっていますが、少し前まで役人はとてもいばっていましたし、いばっていないにしても市民に対して「**をだれかにしてやる」などと主客転倒したことを平気でいっていました。権力や権限を握っているのは自分たちであり、できるだけ市民を遠ざけてきました。

もし今から自分たちで市の政府をつくるとしたら、行政は市民の「代行機関」にすぎないと考えることから出発することです。行政が全く存在しない状態を想定してみてください。同じ集落に何軒かの家があれば、そこに住む人たちは社会生活をするために共同で処理していくことが必要になってきます。できるだけ自分たちで行えることは行いますが、すべてそれで済むわけではありません。広範囲や大規模な事業を行おうとすると専門家やその仕事に専念する人が必要になってきます。そうした人たちを共同で雇い入れ、仕事を「代行」してもらいます。それが行政の出現です。そのかわり行政で必要な経費を互いに負担しようというのが税です。そうした負担をすることで役所はできあがっていると考える事が重要です。そして、その行政が自分たちの考えているように仕事をしているかどうかをチェックする機能も必要になってきます。あくまでも主人公(主権者)は我々市民であって、「先ず役所ありき」ではないのです。

 

著者紹介:西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授・山梨学院大大学院非常勤講師・前多治見市長。

昨年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

まちを学ぶシリーズ4 – こだわりの小淵沢の歴史

小淵沢村の誕生

 

小淵沢町に最初に鍬おろした人々は、二つの地域を形成していた。この二つの地域は、矢の堂―大宮神社の縦状の尾根(尾根地区の地名の由来)である分水嶺の地形によって東西に分けられている。ひとつは、井詰(いづめ)湧水(すずらん池の北側)から自然流下した甲信アルミ南一帯の流域を開発した地域で、もうひとつは、根山湧水(花パークの北側)から自然流下した川は小淵沢小学校西側に流れ、その流域一帯を開発した地域である。

ところが、「正中元年(1324)水源地ヨリ水田灌溝口堀リ 元野之高嶺中央ヲ割り水路ヲ通ス(中略)赤松家蔵ム書中ニ見エタリ」とあり、この井詰用水の横堰の開削が行われ、旧小淵沢全域に水田用水が行き渡った。この横堰を通称、「五百石堰」とも言われる。

自然流化の自然集落から横堰の水路によって結ばれた村作りが始められた。尾根区内に「じょうしょう村」「ごんだい村」の地名が慶長検地帳に見えて、少なくとも室町時代には散在していた村があり、鎌倉時代においても湧水の自然流下する水域に、こうした小集落の村が多く散在していたと思われる。東西に二分されていた地域は同じ井詰湧水の恩恵を受ける共同体となって、一つに地域として統合されて行った。小淵沢村の誕生である。井詰湧水を横堰によって開削する水田開発事業は、旧小淵沢地内に散在していた集落を結合し、小淵沢村の形成に向かわせる重要な原動力をもっていた。

 

天神森について

 

天神森は、この尾根の北端(五味克彦氏宅裏側のカラマツ林の場所)に位置し、「天神森」の地名が残されている。この尾根の南端にも「天神前」「西天神」の地名がある。南北の二つの場所で天神が祀られていた。統合以前において、天上から降りてくる神として、「天神」を祭神として祀る信仰を両地域から集めていた。東西に二つの地域に分ける境界としての尾根は、宗教的意味をもち、神を祀る神聖な場所であり、両地域の信仰の軸となっていた。

その後も、天神森―昌久寺―矢の堂―大宮神社―天神前―八幡山(旧高福寺跡)などの寺院・神社や地名が一直線上に置かれるようになった。

『甲斐地誌略』(県立図書館蔵)に、上庄村の西一帯の地を天神森と称し、口碑に日本武尊命が東征の帰途に休息し、この霊跡に社を創建し山宮天神と称し、その後天神森の社(やしろ)は北野天神に移されたという記述がある。

天神森は、「山宮天神」が祀られた神社が置かれた場所であった。祭神としての天神は日本武尊命(やまとたけるのみこと)に置きかえられて、のち久保地区の北野天神社に祭祀が移転され、菅原道真が祭神に加えられた。祭祀権者は神主小井詰氏であった。

「小井詰氏伝承」に大宮神社に小井詰氏の墳墓があると伝えられていることから、小井詰氏が山宮天神と大宮神社の祭祀を司る神主であった。「山宮」と「大宮」は一対の関係で、民俗学でいう〈山宮―里宮〉の関係である。春に山から里に下り田の神となり、秋に里から山に帰り山の神になるという、農耕の神が春秋に往来する考えである。

神主小井詰氏は、山宮天神の祭祀者として尾根上の〈山宮―大宮〉の祭祀軸を統括し、同時に政治権力者として井詰湧水一帯に支配を及ぼした。やがて井詰湧水による地域開発を進めながら勢力を扶植して行き地域支配者となり、旧小淵沢村を統合する政治的役割を果たした。

次回は、小井詰氏に伝わる伝承から北野神社ついてお話しをします。

小淵沢駅周辺地域活性化計画-3月17日市民説明会

生活に欠かせない駅舎を含んだ駅前広場の整備事業に伴うこの説明会、生涯学習センターこぶちさわにて、15時より17時までの予定を30分ほど延長して開催されました。

北杜市建設部まちづくり推進課より部長課長担当計5名と、東京芸術大学より3名、市民は昨年9月1日のワークショップに並ぶ参加があり、未だ関心の高さが伺えました。

前半はまちづくり推進課の当事業担当から、今後のスケジュール及び計画内容の説明、予てからの懸案事項の説明などが行われ、質疑事項へと移りました。

質疑に関しては、「配置計画に関するもの」「駅舎位置を南側へ移動する新案」「南北自由通路への根強い要望」「市とJRの費用負担割合に関するもの」「出席市民の年齢層について」「JR側からの説明を求める声」など、多岐に渡りましたが、東京芸大側への質疑はなく、根本にある市民の理解という点で問題が根強く、事業の運び方に課題を残しました。

この結果からも今後もこの様な機会が求められるものの、工程計画では来年度は実施設計に進む必要があり、市当局も市民も、対応は急を要した格好となりました。

八ヶ岳南麓風景街道の会主催-第3回赤白防護柵塗替えボランティア

八ヶ岳周辺の自然豊かな風景に癒されるために、多くの人が訪れ居を移して住まわれる方も多いなど、自然景観の魅力がとても高い地域です。

国道などでも柵や標識の支柱など、ベージュや焦げ茶など10YR系の自然景観に馴染む色合いへの変更が進んでいますが、八ヶ岳南麓風景街道の会(まちこぶは民間パートナーシップ団体)は、更なる景観向上活動の一つとして、防護柵の茶色化に取組でいます。

色彩学に基づき国の防護柵設置基準も景観形成に配慮を求めるように平成16年3月に改訂され、赤白柵の設置は減少したものの、元の強調された色合いからの塗替えは、視認性が劣る印象を拭えず理解を得難い一面があり、現在は一部反射板テープを貼ることで、視認性理解との両立を図っています。

こういった課題への対処は、官民ともに行う毎月の会議を中心に、それぞれが出来ることに取り組んでいます。この取り組みは地域ブランドの向上につながり、地域の活性化も見込めるものです。

今回の塗替え場所は、大泉町谷戸豊武・富谷の養蚕形式古民家が続く風情ある地域でした。塗替え後の町並み散策にお出かけください。

ご参加の方々には風景街道の一員として、厚く御礼申し上げます。イベント告知は、市の広報及びメール・SNSなどで行っています。次回は11月予定です。ご一緒にいかがですか。

市民投書 – シルバー川柳

最近、川柳にはまっている。川柳といえば毎年必ず話題になるのが、「サラリーマン川柳」だ。サラリーマンの今日的悲哀を詠ったもので人気を呼んで来た。

ただ、私が今回突然、川柳にはまったきっかけは、昨秋出版された「シルバー川柳」(ポプラ社)だ。この本、あっという間に版を重ね、大ベストセラーになった。因みに副題は『誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ』この3月には早くも続編「シルバー川柳2」も出た。『「アーンして」むかしラブラブいま介護』が副題だ。

今や四人にひとりがお年寄りという超高齢社会のニッポン。かく言う私もはるか昔にその一員となっている。年金に医療に介護にと、お国の財政の穀潰し(ごくつぶし)となっている我々シルバー世代を見る世間の眼はだんだん冷たくなってきている。ただこの世代、金は持っているということで家族にその金をあてにされるのは勿論、借金大国のお国の政府からも財布にてを突っ込まれかねない状況なのだ。「戦後の焼け野原から働きづめに働いてこんな豊かなニッポンをつくりあげて来たのは俺たちだ。年金保険料も健康保険料もちゃんと納めて来た。なんか文句があるか?」などと居直ってみてもはじまらない。まごまごしていると後期高齢者などと仕分けされ、あの世行きの待合室に入れられてしまう。

こうなったらもう残りの人生、笑いとばして行くしかない。そこで登場したのがこの「シルバー川柳」だ。余談だが、我が国には「落語」といい、この「川柳」といい、アナログの極みとも言うべき素晴らしい大衆向けのユーモア芸術が江戸時代以来ずっと息づいている。日本人でよかったと思うのは何も食べ物のことだけではない。それで私も同じ日本人だからということで虚空(こくう)をじっとみつめてみたがなかなかいい句は浮かんでこない。それでもようやく、昨年末から世の中の空気が突然入れ替わったことに思い至ると、頭の中で川柳のリズムが動き出した。生来、政治やこれを伝えるメディア(=マスコミ)を余り信用し過ぎるとろくなことはないと世を拗(す)ねて来た性格がこれに敏感に反応し、5・7・5が湧き出して来た。

アベノミクス 老いも若きも ハイテンション

回春に 新薬出たぞ アベノミクス

手を挙げて みんなで渡ろう アベリスク

TPP みんなで渡れば こわくない

おあとが宜しいようで……

以上ハイカイ寸前で八ヶ岳山麓に棲む独居老人のひとりごとでした。

(詠み人知ラズ)