地方自治はおもしろい1-地方自治の主人公は市民

日本では江戸時代も、明治政府ができてからも市民自らが「政府をつくる」という経験をしないまま、上からの制度が押し付けられてきました。政府は我々の「上」にある存在として国や地方を統治し続けてきました。明治維新は大きな体制の転換ではあったのですが、「市民革命」と呼べるようなものではなかったのです。山県有朋が内務大臣のとき戦前の地方制度の根幹は定まったのですが、国の意向が上意下達でいかに迅速に、しかも徹底するかが彼の関心事でした。戦後の民主化の中で憲法が改正され、現行憲法のもとで地方自治制度ができましたが、それでも私たちが地方政府をつくったわけではなく、戦前と同様全国一律に国が地方自治体をつくりました。

そんなことは当たり前と私たちは思っていますが、米国では地方自治体は地域の人たちが「自治体を創ろう」と都市宣言を行って初めて創られます。自治体が必要ないと皆が考えていれば、自治体は存在しません。自治体は自らが選びとるものです。どんな仕組みで自治体経営をしていくかも都市宣言の中で決めることになっています。イギリスでも自治体よりもっと狭い地域を対象にした「パリッシュ」という自治組織が認められていて、自分たちで行うことを自分たちで選んで活動しています。パリッシュをつくるかどうかもやはりその地域の人たちが自分で決めるのです。

私たちは「なぜ、地方自治体が必要なのだろうか」「なぜ、行政があるのだろうか」と考える機会を持たないまま、制度として上から与えられたことに従ってきました。今ではそんなことはなくなっていますが、少し前まで役人はとてもいばっていましたし、いばっていないにしても市民に対して「**をだれかにしてやる」などと主客転倒したことを平気でいっていました。権力や権限を握っているのは自分たちであり、できるだけ市民を遠ざけてきました。

もし今から自分たちで市の政府をつくるとしたら、行政は市民の「代行機関」にすぎないと考えることから出発することです。行政が全く存在しない状態を想定してみてください。同じ集落に何軒かの家があれば、そこに住む人たちは社会生活をするために共同で処理していくことが必要になってきます。できるだけ自分たちで行えることは行いますが、すべてそれで済むわけではありません。広範囲や大規模な事業を行おうとすると専門家やその仕事に専念する人が必要になってきます。そうした人たちを共同で雇い入れ、仕事を「代行」してもらいます。それが行政の出現です。そのかわり行政で必要な経費を互いに負担しようというのが税です。そうした負担をすることで役所はできあがっていると考える事が重要です。そして、その行政が自分たちの考えているように仕事をしているかどうかをチェックする機能も必要になってきます。あくまでも主人公(主権者)は我々市民であって、「先ず役所ありき」ではないのです。

 

著者紹介:西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授・山梨学院大大学院非常勤講師・前多治見市長。

昨年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。