地方自治はおもしろい6-地方自治での政策決定手法の課題

 地域にはさまざまな課題があって、それを解決するための手順や手段を体系的にまとめたものを「政策」といっています。そして、「政策」を巡ってさまざまな利害や考え方が存在し、それを調整したり、妥協を図ったりしながら決定を行う手続が政治だといえます。その過程でどれだけ市民が「参加」することができるかという問題が現代の政治の重要なポイントになっています。もちろん、参加を行えば行うほど一層利害や考え方の多様性が増してきてさらに困難が増すと考えられます。教科書をみればそんな風に書かれていることが多いのですが、議論が丁寧に行われれば、「落ち着くところに落ち着く」というのが私の経験上からの実感です。あくまで議論が積み重ねられてこそそうなるのであって、形式的な「参加」ではそうはいきません。

 地方の政治では国の政治のように真っ向から意見がぶつかり、最初から双方の対立が当り前、イエスかノーのいずれかしかないという事柄が地域の中では余りないためで、市民の生活環境の改善や利便のために行う事業が多いからだといえます。だからといって問題がないということではありません。巨額な予算を使って造る施設などは最近では首長や議会が強引に進めようとしても、市民の方が納得できない、自治体にとって過剰な投資で将来の財政が危うくなるといった批判が出ることも最近では珍しくありません。それによって首長交代などということも現実に起きています。そうしたケースを見ていると市民と行政・議会との間に情報の共有がなかったり、市民参加を怠ったり、市民の意向を無視する強引な政策推進が行われていることが背景にあるようです。

 また、その地域にとって何が大切かといった価値観を巡っても当然対立を生むことになります。昔は経済優先か、市民の生活環境・自然環境かが争われることが多く存在しましたが、それは今日でも、それぞれの地域にとっても重要な選択であるはずです。これから人口減少や生産年齢人口の減少、高齢者増といった地域の持続可能性が問われる中で、まちの大切な資源をどのようにして守り、活かしていくかが課題となってきます。地域の持つすばらしい景観や自然環境を失うことになれば、大変です。他の地域とは違う大切なものについて市民や地区の中で議論を通じて価値観を共有していくことが求められています。

 以前からこの欄で書いてきましたが、「自分たちの地域のことは自分たちで決める」という原則が守られていなければ、政策を巡っての意見の対立が生じるのは当然です。市政がそうしたことを大事にしているかどうかが今問われているのだと思います。

西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授・山梨学院大大学院非常勤講師・前多治見市長(平成24年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。)

地方自治はおもしろい5-変化しつつある自治のあり方

地域社会がこれからどうなるのかを考えておくことは、とても大切なことだと思います。それは今後益々人口が減少したり、高齢化が進んでいくことが確実だからです。私たちの生活は国や地方の政府と私たちというつながりの他に、その間にたくさんの団体や人のつながりがあって成り立っています。その団体や活動が高齢化や人口減少によって、力を失ってきているのではと感じ始めている人も多いのではないかと思います。

たとえば、町内会などの自治組織をみると、これまでかなり強いつながりがあって、いろいろな活動を行ってきたところでも、だんだん活力を失っている、担い手がいない(代わる人がいない)といったことが起き始めています。

高齢化だけではなく、先進国で起きている現象といわれていますが、個人がバラバラな状態におかれ、孤立しつつあるという事実が日本の社会の中でも起こっています。3.11以後、「きずな」という言葉が事あるごとに使われましたが、それは「きずな」が失われている証拠でもあります。

これからの時代こそ互いに支え合うしくみが必要になるというときに、こうしたことが起きているのです。しかし、「お先真っ暗」というわけではありません。阪神淡路の大震災が起きたとき、大勢のボランティアが救援活動に参加しましたが、それ以前から学生たちがいろんな災害の支援に出かけていたといわれています。3.11の時もそうでした。この十五年ほどの間に誰もが当り前のようにボランティアとして活動するようになりました。専門的なノウハウを持つNPOなどの団体も、すぐさま現場に駆けつけています。

地域の中でも役所ではできないことを行う、役所の手の届かない「隙間」を埋める活動が起き、団体もたくさんできてきています。もちろん、まだまだ充分とはいえませんが、確実に増えていますし、レベルも上がってきています。これから一層新しい活動が生まれてくるでしょう。そんな中、定年退職して元気な人たちが積極的に関わってもらえれば、活動は大きな広がりを持つのではないかと考えています(特に男性が地域社会や市民活動に溶け込めないケースが多い)。

最近、私のまちで起きていることですが、若者たちが自分たちの住む地域に強い関心を示し始めています。おおげさな活動というのではなく、「静かに」活動し、インターネットで情報を流し、互いにそれを共有する、そんな感じの活動ですが、いくつかのグループがまちづくりを今までにない形で行おうと動き始めています。つい最近までなかったことです。他の研究者も学生の指向が「地域」に向かっているといっていますので、全国的な広がりがあるのではないかと思います。

これまでとは違うさまざまなつながりを幾重にも編んでいくこと、それがこれからの地域社会や人々の生活を支えていくことになるでしょう。小淵沢ではどうでしょうか。

 

〈著者紹介〉

西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授  山梨学院大大学院非常勤講師・前多治見市長

平成24年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

地方自治はおもしろい4-市民の感覚が地方自治の鍵

国や地方の政治における民主主義について、直接民主主義と間接民主主義といわれる二つがあります。私たち市民の政治への関わり方、「参加」をどのように実現するかを示すものです。自治体政治は私たちが選挙で選んだ二つの「代表」によって構成される機関によって、日常的には行われています。議会と長―行政がそれです。しかし、法律でも示されているように、自治体とのかかわり方はただ単に選挙の投票で終わりということではなく、直接私たちが行動し、参加するしくみが保障されています。市民の権利としてさまざまな手段を使うことができるのです。自治体政治には代表を選び、その代表に「信託」するという間接民主主義と直接私たちが参加する直接民主主義とが組み込まれた制度になっています。

私たちは選挙で選んだ「代表」に白紙委任をしたのではなく、その「代表」が私たちの意思に反したことを行えば、異議申立てすることもできれば、「代表」を取り換えることも可能です。市民側からいえば、「信託」した代表たちの行動や政治的なスタンスを厳しく監視する。それによって、「代表」は「代表」足り得ているといえます。

市民の政治的な活動があまりなく、議会や行政だけで政治が回っているといった環境にあれば、議員も長、職員は楽なもので、いわば「内輪」の議論で適当な議論で済まし、怠惰であっても、非難されることもありません。そこには緊張感は生まれません。しかし、市民の活動が盛んで、さまざまな問題が提起され、争点化している自治体ではそうはいきません。当然、情報公開や参加のしくみ、そして、説明責任が常に問われることとなり、政治は活性化します。自治体政治にかかわる人たちの間の関係も変わらざるを得ません。

私は経験から、「自治体政治をよくするのも、悪くするのも市民の問題である」ということを実感してきました。鋭い批判や行政のレベルを上回るような専門的な知見を突きつけられることによって、「代表」たちも職員も覚醒すると確信しています。市民と議論することをしないで閉じこもる議会や行政を変えていくことのできるのは、市民の力以外にはありません。これまでの「おまかせ民主主義」ではもはや地域社会はよくなっていきません。逆に「代表」たちは特権的な立場にいるのではなく、「市民の感覚」を失わない政治家で居続けなければならないということです。

議会や行政の透明性や公正性をどのように確保するかについても、市民の監視以外にはそれは実現しませんし、市民が声をあげなければ、容易に自治体は変わりません。ましてや、地域全体が公共事業に依存しているといわれるような環境におかれた自治体にとってはなおさらのことです。

 

著者紹介:西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授・山梨学院大大学院非常勤講師・前多治見市長。

平成24年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

地方自治はおもしろい3-地方分権のはなし

著名なアメリカの政治学者が民主主義のレベルを測る5つの基準を示しています。それは

①実質的な参加(集団の政策が決定される前に、それがどんな政策であるべきかについて、すべてのメンバーが自分の見解を他のメンバーに知ってもらう機会が平等かつ実質的に確保されていること)

②平等な投票

③政策とそれに代わる案を理解する可能性

④アジェンダ(会議の議題や議事日程)の調整

⑤全成人の参画

です。この基準をどこまで実現しているかで、民主主義の質が決まるといっています。この5つはどれも当り前のことだと思う人も、現実にはなかなか難しいと考える人もいるでしょう。

自治体の政治を見て、これらのことが的確に行われているかどうか振り返ってみると、意外にハードルは高いのではと思えてきます。逆に、行政が日常やりたがらないことが並んでいるようにも見えます。

自分の住んでいる地域のことは自分たちで決めるという当り前のことも現実には「どこかで決められてしまう」と感じることが多いはずです。「自分も参加してそのことを決めた」と実感できることは余りありません。これからはそうしたことが実感できる自治体政治を創ることが大切になってきます。そのためには「議論を尽くす」ことなくして、実現することはありません。

一方、地域社会を維持し、私たちの生活を豊かにしていこうとすれば、役所になんでも要求する、なんでも役所に頼ることで解決するわけではありません。これからは地域のことを自分たちの手で決め、行動する「自治」の考え方が必要になってきます。

しかも、自治体の財政は縮小していく時代ですから、「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」、「あれもこれもできない」ことになってきます。自治体は必要最小限度のことしかできなくなります。

人口減少が始まり、高齢化が進みます。北杜市では二〇四〇年の国の推計で現在の人口は30%減少し、高齢化率も31%から48.6%になると予測されており、集落によっては生活環境を維持できないところも出てきます。このような状態の中で暮らしを成り立たせるためには自分たちでいろんな仕組みを作りながら、支え合わなければならなりません。みんなが参加して多様な暮し方を見つけることが必要になります。そのためにも、最初に挙げた「基準」を頭において「議論する」ことがますます大切なことになると思うのですが。

 

 

著者紹介:西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授・山梨学院大大学院非常勤講師・前多治見市長。平成24年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

 

地方自治はおもしろい2-地方分権のはなし

2000年4月1日は地方自治にとって画期的な日でした。地方自治法の大改正をはじめとする地方分権一括法が施行され、明治以来続いてきた国と地方の関係が「上下主従」から「対等協力」の関係に変わった日だからです。日本は戦後の民主化を経ても、とても強い中央集権の国が変わったのです。2000年当時、「自分たちの地域のことは自分たちで決める」ことができるようになったのだと私を含め多くの人たちが語っていました。しかし、役所や役場の職員たちの多くは「地方分権改革が行われても、何も変わらない」と思っていたはずです。

時間が経つにつれて地方分権で自治体は「変わる、変わった」と考えていた自治体の職員と「変わらない」と思っていた自治体の職員では大きな差が出てきてしまうことになります。分権改革は一方で自治体の自立を促し、仕事のやり方も変わり、権限も次第に増えてきました。そして、国や県をあてにするのではなく「自力で自治体を経営する」できるかどうかで、自治体間の大きな格差を生み出していきました。

自分たちで政策を開発し、行政を改革していく自治体が現れる一方で、職員の能力を高める努力を怠たり、地方分権の意味を理解していなかった自治体は「だれも助けてくれない」ことで立ち往生となってしまいました。

「自分たちの地域のことは自分たちで決める」ことを実行していこうとすれば、自治体改革を進め、地域の課題に正面から向き合わなければなりません。そのためには政策をつくるとき市民が何を考え、何を必要としているかを的確に知る必要があります。それをどう汲み取るのかその方法を見つけ出すことが必要になってきます。それとともに、市民、議員、長、職員の間で「合意」を図るためには互いの間での議論が本当に行われているかが問われます。

それは「地域の政治を変える」ことを意味します。これまでのように行政内部だけで決定し、議会に諮ってもきちんとした議論も行われずに政策がつくられていく、そういう過去の政治から抜け出ているのかどうかを市民は監視している必要があります。

地域の課題について行政だけではなく、市民が議論に参加しようとすれば、情報を共有し、同じレベルに立って議論がされなければなりません。「情報のないところに議論なし」といわれるのですが、行政が収集した情報を整理し、分かりやすく市民に知らせているのかどうか、市民が知りたい情報はすぐに取り出せるのか、市立図書館の中に市の発行した調査や統計、あるいは計画書などが系統的に揃っているか、公の会議がどこまで公開されているかも含め、情報の取扱いはとても重要で、その状況を見ただけでその自治体の質が分かるといっても過言ではありません。

まとめれば、「市民が市の政治に参加する仕組みが整っているか」、また、「その前提として情報共有を目指した取組みがされているか」の二つがとても大切だということです。

 

 

著者紹介:  西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授・山梨学院大大学院非常勤講師・前多治見市長。

平成24年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

地方自治はおもしろい1-地方自治の主人公は市民

日本では江戸時代も、明治政府ができてからも市民自らが「政府をつくる」という経験をしないまま、上からの制度が押し付けられてきました。政府は我々の「上」にある存在として国や地方を統治し続けてきました。明治維新は大きな体制の転換ではあったのですが、「市民革命」と呼べるようなものではなかったのです。山県有朋が内務大臣のとき戦前の地方制度の根幹は定まったのですが、国の意向が上意下達でいかに迅速に、しかも徹底するかが彼の関心事でした。戦後の民主化の中で憲法が改正され、現行憲法のもとで地方自治制度ができましたが、それでも私たちが地方政府をつくったわけではなく、戦前と同様全国一律に国が地方自治体をつくりました。

そんなことは当たり前と私たちは思っていますが、米国では地方自治体は地域の人たちが「自治体を創ろう」と都市宣言を行って初めて創られます。自治体が必要ないと皆が考えていれば、自治体は存在しません。自治体は自らが選びとるものです。どんな仕組みで自治体経営をしていくかも都市宣言の中で決めることになっています。イギリスでも自治体よりもっと狭い地域を対象にした「パリッシュ」という自治組織が認められていて、自分たちで行うことを自分たちで選んで活動しています。パリッシュをつくるかどうかもやはりその地域の人たちが自分で決めるのです。

私たちは「なぜ、地方自治体が必要なのだろうか」「なぜ、行政があるのだろうか」と考える機会を持たないまま、制度として上から与えられたことに従ってきました。今ではそんなことはなくなっていますが、少し前まで役人はとてもいばっていましたし、いばっていないにしても市民に対して「**をだれかにしてやる」などと主客転倒したことを平気でいっていました。権力や権限を握っているのは自分たちであり、できるだけ市民を遠ざけてきました。

もし今から自分たちで市の政府をつくるとしたら、行政は市民の「代行機関」にすぎないと考えることから出発することです。行政が全く存在しない状態を想定してみてください。同じ集落に何軒かの家があれば、そこに住む人たちは社会生活をするために共同で処理していくことが必要になってきます。できるだけ自分たちで行えることは行いますが、すべてそれで済むわけではありません。広範囲や大規模な事業を行おうとすると専門家やその仕事に専念する人が必要になってきます。そうした人たちを共同で雇い入れ、仕事を「代行」してもらいます。それが行政の出現です。そのかわり行政で必要な経費を互いに負担しようというのが税です。そうした負担をすることで役所はできあがっていると考える事が重要です。そして、その行政が自分たちの考えているように仕事をしているかどうかをチェックする機能も必要になってきます。あくまでも主人公(主権者)は我々市民であって、「先ず役所ありき」ではないのです。

 

著者紹介:西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授・山梨学院大大学院非常勤講師・前多治見市長。

昨年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

台所が政治を変える3-「お任せ民主主義」と「市民総評論家」からの脱却を

――選挙を前にして自ら考えたいこと――

いよいよ北杜市の市議会議員・市長選挙が近づいてきました。身近な選挙はなかなか厄介で、支持をするといっても様々な要因がそこには含まれています。個人的に知り合いである、同級生である、地域で議員を出さなければというプレッシャー。必ずしも「政治的な資質」といえるもの、あるいはその人や党の「政策」で選んでいるとは限りません。しかし、そういうことを繰り返していては、市政はよくなりません。

「お任せ民主主義」になっていないか?

多くの人が4年に一度の選挙に投票し、議員や市長を選んでしまえば、後は自治体政治を議会や行政に任せてしまい、さまざま問題が起きても、不満や不安であっても「まあ、仕方ないか」と思いながら、そのくせ裏では「**はダメだ」と批判して済ませてきたのではないでしょうか。しかし、そのような「お任せ民主主義」と「市民総評論家」では地域はよくなりません。

選挙はゴールではなく出発点

「選ぶ側のレベルに見合った議員や首長しか選べない」とよくいわれますが、市民がしっかり選ばれた人たちを監視し、緊張感のある状況を作ることによって、政治家たちの行動も規律されます。質の高い政治が行われるかどうかは厳しい「市民の目」があるかどうかにかかっています。そして、選挙時には選ばれた人たち個々の4年間の活動を評価することも必要です。従って、選挙はただ単に4年に一度のイベントではなく、選んだ側の市民のスタンスも同時に問われているのです。選挙から選挙へ繰り返すそのサイクル全体が選ぶ人の責任でもあります。選挙はゴールではなく、出発点です。

特に今日のように財政問題やら人口減少、高齢化、地域経済の低迷など「持続可能性」を脅かすような地域課題を抱えているときはなおさらです。こういう時こそ、将来を見通すような視野を持った人が不可欠です。「地域社会の将来をどう考えるか」や「これからの自治体政治のあり方をどのようにしていくか」といった視点からみて、政治家たちがしっかりした考えをもっているかどうかがとても大切です。

市民は選ぶ側の責任も問われている

もちろん、通常自治体の政治は議会と行政によって行われていますので、優れた議員、首長を選ばなくてはならないのは当然のことです。しかし、だからと言って議会や首長に「白紙委任」したわけではなく、選んだ側も常に市政とのかかわりを意識していなければなりません。法律にも自治体の政治には直接民主主義のしくみが埋め込まれています。条例の制定改廃の直接請求、議員・長の解職請求、議会の解散請求などがそれですが、自治体独自でも市民参加を行ったり、住民投票条例を作ったりと積極的に市民が自治体政治にかかわることができるよう努力がなされています。市民には「お任せ」ではなく、選ぶ側としての責任も問われているのです。

著者紹介・西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授
山梨学院大大学院非常勤講師
前多治見市長

本年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

 

台所が政治を変える2-議会改革の時代を生きる議員を!

――市議会議員選挙を前にして――

地域市民の現場の声が最も重要なこと

私も長年市議会議員を勤めてきました。その経験から議員活動の質はいかに地域や自治体の情報をキャッチするかによって決まると思ってきました。地域や市民あるいは団体などの「現場の情報」こそが重要なのです。ところが、そうした情報が往々にして「口利き」のためにだけ使われているという点に議会の問題があるのではないでしょうか。

「口利き」はいわば市民と行政の間に立ってさまざまな課題解決を行うことですが、それ自体、地域や市民の抱えている矛盾を解きほぐすと考えれば、だめだとばかり言いきれません。しかし、それが時として特定の人、団体、企業のエゴを助長したり、議員による「利益誘導」にもなりかねません。あるいは、それを成功させるには行政=首長との関係を良好にしておくことが不可欠と考える議員は首長の「与党」と化してしまいます。「与党化」すれば、行政に対する「厳しい目」を失ってしまいます。

改革が厳しく問われる今こそ議会の出番

かつては右肩上がりの時代でしたから、増大する財源をどう配分するかが、地方政治家の腕であると思われてきました。しかし、そんな時代は終わってしまい、どこの自治体でも行財政改革が厳しく問われる時代になってしまいました。将来の地域社会のために今何を優先すべきか、何かを削ってもこれだけはやらなければといった「政策選択」が問われる時代になりました。

本来こうした時こそ議会の出番なのです。なによりも地域の人たちの感じていること、考えていることをよく知っているのは議員たちだからです。もちろん、それぞれの地区が抱えている問題を巡って、議員間での意見対立は当然あるでしょうが、そうしたことも含め、議論し、調整して自治体の方向性を決めていくことこそ議員の、そして議会の役割です。地域エゴともいえる主張を続けて対立し、双方が政策実行を迫ることで終われば、自治体改革の時期を逸し、結局は重大な問題の解決を「先送り」することになりかねません。

議会の閉じ籠りを打開することが課題

全国的に「議会改革」が急速に進んでいます。このままでは議会の存在価値がなくなってしまうのではという危機感の表れです。もともと議会は市民とともにあり、行政の目線を市民の方へ向けさせ、行政の体質を変えさせていく役目であったはずです。しかし、現実は議会対市民・行政という構図ができあがり、議会だけが「閉じ籠り」の状態にあるといえます。この事態を打開するため、議会基本条例等の制定・運用を通して議会を変えていくことが今求められています。

著者紹介・西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授
山梨学院大大学院非常勤講師
前多治見市長

本年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

 

台所が政治を変える1-市長のあり方が生活の質を決める

私たちが日常生活をする上で、もっとも身近な政府である市町村(基礎的自治体)との関係がとても強いことが分かります。ほとんどの人たちが一生のうち県庁や国の府省に出かけていく用や機会はありません。県の機関であっても、パスポートを発行してもらうとか保健所にいくとかする以外、縁がありません。大体のことは市役所へ出かけることで、済んでしまいます。それは私たちの生活に関連する事務の大部分を市役所が行っていることを示しています。

政治の話でいえば、私たちはしばしば国の政治のことを口にします。マスコミの報道も国の政治に関連することが中心になっています。もちろんそれはそれで大切なことですが、もっと自分の暮らしている自治体のこと、自治体政治に関心を持つことが必要です。上に述べたように私たちの暮らしを支えているのは、基礎的自治体のはずです。特に地方分権改革が進んでくると「自分たちの地域のことは自分たちで決める。そして、自分たちの責任でそれを行う」ことが求められるようになるのですから、なおさらです。

基礎的自治体のあり方が私たちの「生活の質」を決めていくことになります。あるいは、市民一人ひとりが市政とどうかかわるか、人任せにしないで自分たちの地域を自分たちで創っていくためにはどうしたらいいのかといったことが、自治体と密接にかかわってきます。その重要な機会として市長選挙や市議会議員選挙があります。

もちろん、市長や議員にすべて任せるのではなく、日頃から市長をトップとする行政や自治体の意思を決めていく議会の動きに注目し、おかしなことや間違ったことがあれば、直接声をあげていくことが地域の民主主義にとって大切ことはいうまでもありません。遠い存在である国や県の政治とは違い、文字通り「身近な」政治として市政はあるはずですし、そうでなくてはいけないはずです。

とはいえ、日常的には議会と市長―行政の間で政治は行われています。その質が高いのかどうかがこれからの地域社会の方向を決めていくことになるのです。特に、人口減少、高齢化、地域産業の低迷、財政の縮小といった難しい課題が山積している今日、市をどうしていくのかについて真剣に考え、議論していくことのできる人たちを的確に選ぶことが何よりも重要なことになってきます。自分たちの選択がそのまま市のあり方を決定してしまうことになるという自覚を持って、選挙に臨むことが期待されています。

著者紹介・西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授
山梨学院大大学院非常勤講師
前多治見市長

本年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。