まちを学ぶシリーズ1 – こだわりの地域歴史学

八ヶ岳南麓という地域。私にとって60年余り聞き慣れた親しみのある言葉である。

この「八ヶ岳南麓」という語感の響きが気持ちいい。そこに住む私のアイデンティの立ち位置があり、どことなく安心感を持つことができるからである。それは、八ヶ岳南麓という限られた地域と八ヶ岳の山々との一体となった自然の姿が与えてくれたものであり、八ヶ岳南麓から仰ぎ見る山々に秘められている神秘的な信仰の世界によって培われたものであろう。

その山々には、赤岳は含まれない。八ヶ岳南麓は、赤岳が見えない地域だからである。つまり、赤岳を除く権現岳を中心とする峰々が本来の八ヶ岳の姿である。権現岳より南に流れ下り裾野が広がる南麓から見る「赤岳の見えない八ヶ岳」こそ、ふるさとの山である。遠い昔、南麓に定住した人々が描いていた八ヶ岳の最初の原風景である。ここには、赤岳を主峰とする現在の八ヶ岳の姿はない。

権現岳の頂上は、這(はい)松(まつ)がせり上がり、二つに裂かれた巨石がある。この巨石が八ヶ岳の御神体である。こうした山頂の景観のある権現岳こそ八ヶ岳の中心であり、八ヶ岳の神々が降臨するに相応(ふさわ)しい神聖な場所である。権現岳に登ったことのある人なら、南麓から頂上の尖がり状の巨石を確認することができる。つまり毎日麓から仰ぎ見ながら豊穣を祈る信仰の山であった。また八ヶ岳は狩猟・採集の恵みを得る里山であり、八ヶ岳とその南麓がひとつに結ばれた日常の生活圏であった。

このように、昔も今も変わらない八ヶ岳の原風景を想像する時、八ヶ岳南麓の山の信仰や里の生活の匂いを伝えてくれる不思議な山である。「山と里」の一体化した独特の精神文化を見ることができ、八ヶ岳南麓という限られた地域から八ヶ岳を見るこだわりから来る認識である。これが八ヶ岳を見る原点であり、地域の活性化を図ろうとする一つの枠組みが与えられる。

(高福寺住職・水原康道)