まちを学ぶシリーズ6 水原 康道(高福寺住職)ーこだわりの「小淵沢」の地名について(一)

小淵沢の地名は、「小淵池」に由来する伝承がある。小淵池は、小淵沢町総合グランド駐車場北の杉木立の場所にある。直径5~6メートル程の小さな池で、流れ出る川はなく、一年中水量は一定している。

小淵池は、実用性より宗教性の重視した場所といえる。そのために雨乞い祈願が行われたり、椀貸伝承(注1)がある。また、諏訪湖の水が増減すると小淵池も同じように変化するという、諏訪湖と小淵池が地下水でつながっている通底伝承もある。東大寺のお水取りの水は若狭国から地底を通じているというように、全国的に見られるこの伝承は不老長寿の常世の国に通じる信仰が背景にある。地底から湧き出る水は常世の国からもたらされる不老長寿の若水と思われ、また椀貸伝承のようにこの世に様々な福をもたらされるという。

このように池(井)は神秘的な場所とされ、水の祭祀をする神聖な場所であった。789年、甲斐国の渡来者は玉井・大井・中井などに改姓している。「井」の字を使ったのは、「井」の持つ聖なる水の呪力を姓名に注ぐためとみられる。韮崎市藤井町にある「駒井」の地名も渡来系に由来するとされ、また「藤井」の地名の命名も同じ理由からで、「井」の付く名前・地名は佳名(縁起の良い名前)とされたのであろう。

小淵沢の歴史に深く関わった小井詰氏の姓に、「井」の字が取り入れられたのも、同様の理由からであろう。水の湧く所は常世国に通じて、その神々の加護を受ける所であり、その場所に君臨することが地域に政治的、宗教的権威を示す、一種のステイタスであった。

天神森―山宮天神(のち現在地の北野神社となる)と大宮神社は尾根状に位置し、大宮神社には北野神社の神主・小井詰氏の墳墓あったという伝承(前号参照)がある。小淵池は、この尾根と北野神社の中間に位置し、約150メートル程の距離である。小淵池は「殿平」という地名の中にあって、小井詰氏後の領主の旧居住地跡とみられ、また隣接地に「天沢林」という字名あり、天沢寺というお寺の旧跡地という伝承がある。小淵池を中心とする一帯は、小淵沢の地名発祥地として語るにふさわしい場所で、政治的・宗教的に重要な地域であったと思われる。

以上のような「小渕の池」の伝承からの説明によると、小淵沢の地名は、「水」を共通とする「小渕」と「沢」とを合わせた地名と考えられる。「小渕」と「沢」を一体に解釈すると、「小さな淵のある沢」という地名になり、沢に小さな淵があることになる。これでは現状の地形に合わない。分離して解釈すると「小渕の池」と「沢」は別々の存在となるので、「小渕池」を小淵沢の地名由来の説明にならない。

このように小渕沢の地名を「小渕池」に由来するという   伝承では、「小渕」と「沢」の関係を十分説明できないので、次回はこの関係を再度考えることにする。

(注1)膳椀が必要の場合、その数を頼むと貸してくれるという沼や淵の話。全国的に分布する。しかし返却しなかった場合、その後は貸さなくなったという。

(注2)常世の国は古代日本で信仰され、海の彼にある一種の理想郷、不老不死・若返りなどと結び付けられた日本神話の他界観。古事記、日本書紀、万葉集、風土記などに記述がある。