まちを学ぶシリーズ1 – こだわりの地域歴史学

八ヶ岳南麓という地域。私にとって60年余り聞き慣れた親しみのある言葉である。

この「八ヶ岳南麓」という語感の響きが気持ちいい。そこに住む私のアイデンティの立ち位置があり、どことなく安心感を持つことができるからである。それは、八ヶ岳南麓という限られた地域と八ヶ岳の山々との一体となった自然の姿が与えてくれたものであり、八ヶ岳南麓から仰ぎ見る山々に秘められている神秘的な信仰の世界によって培われたものであろう。

その山々には、赤岳は含まれない。八ヶ岳南麓は、赤岳が見えない地域だからである。つまり、赤岳を除く権現岳を中心とする峰々が本来の八ヶ岳の姿である。権現岳より南に流れ下り裾野が広がる南麓から見る「赤岳の見えない八ヶ岳」こそ、ふるさとの山である。遠い昔、南麓に定住した人々が描いていた八ヶ岳の最初の原風景である。ここには、赤岳を主峰とする現在の八ヶ岳の姿はない。

権現岳の頂上は、這(はい)松(まつ)がせり上がり、二つに裂かれた巨石がある。この巨石が八ヶ岳の御神体である。こうした山頂の景観のある権現岳こそ八ヶ岳の中心であり、八ヶ岳の神々が降臨するに相応(ふさわ)しい神聖な場所である。権現岳に登ったことのある人なら、南麓から頂上の尖がり状の巨石を確認することができる。つまり毎日麓から仰ぎ見ながら豊穣を祈る信仰の山であった。また八ヶ岳は狩猟・採集の恵みを得る里山であり、八ヶ岳とその南麓がひとつに結ばれた日常の生活圏であった。

このように、昔も今も変わらない八ヶ岳の原風景を想像する時、八ヶ岳南麓の山の信仰や里の生活の匂いを伝えてくれる不思議な山である。「山と里」の一体化した独特の精神文化を見ることができ、八ヶ岳南麓という限られた地域から八ヶ岳を見るこだわりから来る認識である。これが八ヶ岳を見る原点であり、地域の活性化を図ろうとする一つの枠組みが与えられる。

(高福寺住職・水原康道)

台所が政治を変える3-「お任せ民主主義」と「市民総評論家」からの脱却を

――選挙を前にして自ら考えたいこと――

いよいよ北杜市の市議会議員・市長選挙が近づいてきました。身近な選挙はなかなか厄介で、支持をするといっても様々な要因がそこには含まれています。個人的に知り合いである、同級生である、地域で議員を出さなければというプレッシャー。必ずしも「政治的な資質」といえるもの、あるいはその人や党の「政策」で選んでいるとは限りません。しかし、そういうことを繰り返していては、市政はよくなりません。

「お任せ民主主義」になっていないか?

多くの人が4年に一度の選挙に投票し、議員や市長を選んでしまえば、後は自治体政治を議会や行政に任せてしまい、さまざま問題が起きても、不満や不安であっても「まあ、仕方ないか」と思いながら、そのくせ裏では「**はダメだ」と批判して済ませてきたのではないでしょうか。しかし、そのような「お任せ民主主義」と「市民総評論家」では地域はよくなりません。

選挙はゴールではなく出発点

「選ぶ側のレベルに見合った議員や首長しか選べない」とよくいわれますが、市民がしっかり選ばれた人たちを監視し、緊張感のある状況を作ることによって、政治家たちの行動も規律されます。質の高い政治が行われるかどうかは厳しい「市民の目」があるかどうかにかかっています。そして、選挙時には選ばれた人たち個々の4年間の活動を評価することも必要です。従って、選挙はただ単に4年に一度のイベントではなく、選んだ側の市民のスタンスも同時に問われているのです。選挙から選挙へ繰り返すそのサイクル全体が選ぶ人の責任でもあります。選挙はゴールではなく、出発点です。

特に今日のように財政問題やら人口減少、高齢化、地域経済の低迷など「持続可能性」を脅かすような地域課題を抱えているときはなおさらです。こういう時こそ、将来を見通すような視野を持った人が不可欠です。「地域社会の将来をどう考えるか」や「これからの自治体政治のあり方をどのようにしていくか」といった視点からみて、政治家たちがしっかりした考えをもっているかどうかがとても大切です。

市民は選ぶ側の責任も問われている

もちろん、通常自治体の政治は議会と行政によって行われていますので、優れた議員、首長を選ばなくてはならないのは当然のことです。しかし、だからと言って議会や首長に「白紙委任」したわけではなく、選んだ側も常に市政とのかかわりを意識していなければなりません。法律にも自治体の政治には直接民主主義のしくみが埋め込まれています。条例の制定改廃の直接請求、議員・長の解職請求、議会の解散請求などがそれですが、自治体独自でも市民参加を行ったり、住民投票条例を作ったりと積極的に市民が自治体政治にかかわることができるよう努力がなされています。市民には「お任せ」ではなく、選ぶ側としての責任も問われているのです。

著者紹介・西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授
山梨学院大大学院非常勤講師
前多治見市長

本年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

 

台所が政治を変える2-議会改革の時代を生きる議員を!

――市議会議員選挙を前にして――

地域市民の現場の声が最も重要なこと

私も長年市議会議員を勤めてきました。その経験から議員活動の質はいかに地域や自治体の情報をキャッチするかによって決まると思ってきました。地域や市民あるいは団体などの「現場の情報」こそが重要なのです。ところが、そうした情報が往々にして「口利き」のためにだけ使われているという点に議会の問題があるのではないでしょうか。

「口利き」はいわば市民と行政の間に立ってさまざまな課題解決を行うことですが、それ自体、地域や市民の抱えている矛盾を解きほぐすと考えれば、だめだとばかり言いきれません。しかし、それが時として特定の人、団体、企業のエゴを助長したり、議員による「利益誘導」にもなりかねません。あるいは、それを成功させるには行政=首長との関係を良好にしておくことが不可欠と考える議員は首長の「与党」と化してしまいます。「与党化」すれば、行政に対する「厳しい目」を失ってしまいます。

改革が厳しく問われる今こそ議会の出番

かつては右肩上がりの時代でしたから、増大する財源をどう配分するかが、地方政治家の腕であると思われてきました。しかし、そんな時代は終わってしまい、どこの自治体でも行財政改革が厳しく問われる時代になってしまいました。将来の地域社会のために今何を優先すべきか、何かを削ってもこれだけはやらなければといった「政策選択」が問われる時代になりました。

本来こうした時こそ議会の出番なのです。なによりも地域の人たちの感じていること、考えていることをよく知っているのは議員たちだからです。もちろん、それぞれの地区が抱えている問題を巡って、議員間での意見対立は当然あるでしょうが、そうしたことも含め、議論し、調整して自治体の方向性を決めていくことこそ議員の、そして議会の役割です。地域エゴともいえる主張を続けて対立し、双方が政策実行を迫ることで終われば、自治体改革の時期を逸し、結局は重大な問題の解決を「先送り」することになりかねません。

議会の閉じ籠りを打開することが課題

全国的に「議会改革」が急速に進んでいます。このままでは議会の存在価値がなくなってしまうのではという危機感の表れです。もともと議会は市民とともにあり、行政の目線を市民の方へ向けさせ、行政の体質を変えさせていく役目であったはずです。しかし、現実は議会対市民・行政という構図ができあがり、議会だけが「閉じ籠り」の状態にあるといえます。この事態を打開するため、議会基本条例等の制定・運用を通して議会を変えていくことが今求められています。

著者紹介・西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授
山梨学院大大学院非常勤講師
前多治見市長

本年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

 

台所が政治を変える1-市長のあり方が生活の質を決める

私たちが日常生活をする上で、もっとも身近な政府である市町村(基礎的自治体)との関係がとても強いことが分かります。ほとんどの人たちが一生のうち県庁や国の府省に出かけていく用や機会はありません。県の機関であっても、パスポートを発行してもらうとか保健所にいくとかする以外、縁がありません。大体のことは市役所へ出かけることで、済んでしまいます。それは私たちの生活に関連する事務の大部分を市役所が行っていることを示しています。

政治の話でいえば、私たちはしばしば国の政治のことを口にします。マスコミの報道も国の政治に関連することが中心になっています。もちろんそれはそれで大切なことですが、もっと自分の暮らしている自治体のこと、自治体政治に関心を持つことが必要です。上に述べたように私たちの暮らしを支えているのは、基礎的自治体のはずです。特に地方分権改革が進んでくると「自分たちの地域のことは自分たちで決める。そして、自分たちの責任でそれを行う」ことが求められるようになるのですから、なおさらです。

基礎的自治体のあり方が私たちの「生活の質」を決めていくことになります。あるいは、市民一人ひとりが市政とどうかかわるか、人任せにしないで自分たちの地域を自分たちで創っていくためにはどうしたらいいのかといったことが、自治体と密接にかかわってきます。その重要な機会として市長選挙や市議会議員選挙があります。

もちろん、市長や議員にすべて任せるのではなく、日頃から市長をトップとする行政や自治体の意思を決めていく議会の動きに注目し、おかしなことや間違ったことがあれば、直接声をあげていくことが地域の民主主義にとって大切ことはいうまでもありません。遠い存在である国や県の政治とは違い、文字通り「身近な」政治として市政はあるはずですし、そうでなくてはいけないはずです。

とはいえ、日常的には議会と市長―行政の間で政治は行われています。その質が高いのかどうかがこれからの地域社会の方向を決めていくことになるのです。特に、人口減少、高齢化、地域産業の低迷、財政の縮小といった難しい課題が山積している今日、市をどうしていくのかについて真剣に考え、議論していくことのできる人たちを的確に選ぶことが何よりも重要なことになってきます。自分たちの選択がそのまま市のあり方を決定してしまうことになるという自覚を持って、選挙に臨むことが期待されています。

著者紹介・西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授
山梨学院大大学院非常勤講師
前多治見市長

本年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

策定委員会と9月1日ワークショップ

平成24年7月4日「第1回小淵沢駅周辺地域活性化計画策定委員会」が北杜市役所でスタートしました。

策定委員会には、策定委員(地域を代表する者8人、職見を有する者4人)、東京芸術大学、北川原温建築都市研究所、市事務局が参加し、加えて数名の傍聴者がありました。

協議内容は、①北杜市審議会等の会議の公開に関する要綱の説明②小淵沢駅舎・駅前広場整備事業の概要及び経過説明③小淵沢駅周辺地域活性化計画について④その他と進み、中でも策定委員会の役割については、下図(東京芸術大学との作業体制・策定委員会資料)にあるように、駅前広場の検討を行う組織といえます。北杜市建設部まちづくり推進課ホームページに議事録が掲載されていますので、是非関心を持ってご覧ください。

来る9月1日(土)16時30分から18時30分まで生涯学習センターこぶちさわにおいて東京芸大・北杜市共催のワークショップが開催されます。

多くの市民や駅舎利用者等の積極的な意見や要望を連携機関にお伝えし、駅舎の意匠設計、観光案内所、駅広の計画に市民の意向を最大限反映していただき、利用者が総合的に納得し、愛着の持てる駅周辺環境を目指すことが活性化事業のスタートと考えます。

官民協働(市民と一体)の本質に沿った作業において、両者協力姿勢の構築が地域活性化要素の源と思えます。

併せて、駅前広場の模型・パネル展示が、小淵沢総合支所と生涯学習センターこぶちさわ(パネル展示のみ)で9月3日(月)から9月10日(月)まで行われます。ワークショップでの意見まとめも公開されます。 続きを読む 策定委員会と9月1日ワークショップ

いいこと探訪1 – 自然いろシート普及委員会

まちこぶ環境部が参加する、八ヶ岳南麓風景街道の会に、本年度より参加している団体に、自然いろシート普及委員会(以下略・自然いろ)があります。

自然いろは、建築系職人6名から設立されました。職人たちは、普段からブルーシートへの違和感を覚えていましたが、そこに、ある縁で景観に配慮した自然色のシートが現場に届き、その効果に心を打たれました。まだ広く知られていないため、普及活動をしようと再度集まり、この団体をスタートしました。

自然いろの現在の活動は、市周辺でメンバーが知人を介した口コミの他に、ホームページやインターネット・SNSを使った周知展開もしています。風景街道の会を通じて、県美しい県土づくり推進室の協力の下、県主催のイベントなどへの展示を積極的に行なっています。11月にある県民の日行事(小瀬)に出展する計画も進んでいます。

ショッピング枠現金化業者とは?

ネット井戸端会議勉強会 第1回報告・第2回参加者募集

 去る4月25日、夜7時半より、ショップまちこぶ2階、まちづくり小淵沢会議室で開かれた、「ネット井戸端会議勉強会」第1回のご報告です。

参加者4名、今回は瓦版、店頭チラシ、SNS Facebookでの告知から様々な方に集まっていただきました。今回はいずれも、まちづくりに関心のあるネットのエキスパートの方で、思わずSNSの活用や、まちづくりの談話など、濃い相互勉強会になりました。

次を待ち望む声を頂きながら遅くなりましたが、第2回を9月上旬に開催します。内容は、初心者向けですが、様々な方にご参加いただきたいと思います。

ショップまちこぶにて8月20日からチラシをお配りします。インターネットSNSでも、告知しますので、出会いの場としてご参加いただければ幸いです。