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地方自治はおもしろい3-地方分権のはなし

著名なアメリカの政治学者が民主主義のレベルを測る5つの基準を示しています。それは

①実質的な参加(集団の政策が決定される前に、それがどんな政策であるべきかについて、すべてのメンバーが自分の見解を他のメンバーに知ってもらう機会が平等かつ実質的に確保されていること)

②平等な投票

③政策とそれに代わる案を理解する可能性

④アジェンダ(会議の議題や議事日程)の調整

⑤全成人の参画

です。この基準をどこまで実現しているかで、民主主義の質が決まるといっています。この5つはどれも当り前のことだと思う人も、現実にはなかなか難しいと考える人もいるでしょう。

自治体の政治を見て、これらのことが的確に行われているかどうか振り返ってみると、意外にハードルは高いのではと思えてきます。逆に、行政が日常やりたがらないことが並んでいるようにも見えます。

自分の住んでいる地域のことは自分たちで決めるという当り前のことも現実には「どこかで決められてしまう」と感じることが多いはずです。「自分も参加してそのことを決めた」と実感できることは余りありません。これからはそうしたことが実感できる自治体政治を創ることが大切になってきます。そのためには「議論を尽くす」ことなくして、実現することはありません。

一方、地域社会を維持し、私たちの生活を豊かにしていこうとすれば、役所になんでも要求する、なんでも役所に頼ることで解決するわけではありません。これからは地域のことを自分たちの手で決め、行動する「自治」の考え方が必要になってきます。

しかも、自治体の財政は縮小していく時代ですから、「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」、「あれもこれもできない」ことになってきます。自治体は必要最小限度のことしかできなくなります。

人口減少が始まり、高齢化が進みます。北杜市では二〇四〇年の国の推計で現在の人口は30%減少し、高齢化率も31%から48.6%になると予測されており、集落によっては生活環境を維持できないところも出てきます。このような状態の中で暮らしを成り立たせるためには自分たちでいろんな仕組みを作りながら、支え合わなければならなりません。みんなが参加して多様な暮し方を見つけることが必要になります。そのためにも、最初に挙げた「基準」を頭において「議論する」ことがますます大切なことになると思うのですが。

 

 

著者紹介:西寺雅也氏

名古屋学院大学経済学部総合政策学科教授・山梨学院大大学院非常勤講師・前多治見市長。平成24年3月まで、山梨学院大学教授として山梨を拠点に、北杜市内にも市民講座の講師として度々通われ、この地への理解も深い。

 

まちを学ぶシリーズ6 水原 康道(高福寺住職)ーこだわりの「小淵沢」の地名について(一)

小淵沢の地名は、「小淵池」に由来する伝承がある。小淵池は、小淵沢町総合グランド駐車場北の杉木立の場所にある。直径5~6メートル程の小さな池で、流れ出る川はなく、一年中水量は一定している。

小淵池は、実用性より宗教性の重視した場所といえる。そのために雨乞い祈願が行われたり、椀貸伝承(注1)がある。また、諏訪湖の水が増減すると小淵池も同じように変化するという、諏訪湖と小淵池が地下水でつながっている通底伝承もある。東大寺のお水取りの水は若狭国から地底を通じているというように、全国的に見られるこの伝承は不老長寿の常世の国に通じる信仰が背景にある。地底から湧き出る水は常世の国からもたらされる不老長寿の若水と思われ、また椀貸伝承のようにこの世に様々な福をもたらされるという。

このように池(井)は神秘的な場所とされ、水の祭祀をする神聖な場所であった。789年、甲斐国の渡来者は玉井・大井・中井などに改姓している。「井」の字を使ったのは、「井」の持つ聖なる水の呪力を姓名に注ぐためとみられる。韮崎市藤井町にある「駒井」の地名も渡来系に由来するとされ、また「藤井」の地名の命名も同じ理由からで、「井」の付く名前・地名は佳名(縁起の良い名前)とされたのであろう。

小淵沢の歴史に深く関わった小井詰氏の姓に、「井」の字が取り入れられたのも、同様の理由からであろう。水の湧く所は常世国に通じて、その神々の加護を受ける所であり、その場所に君臨することが地域に政治的、宗教的権威を示す、一種のステイタスであった。

天神森―山宮天神(のち現在地の北野神社となる)と大宮神社は尾根状に位置し、大宮神社には北野神社の神主・小井詰氏の墳墓あったという伝承(前号参照)がある。小淵池は、この尾根と北野神社の中間に位置し、約150メートル程の距離である。小淵池は「殿平」という地名の中にあって、小井詰氏後の領主の旧居住地跡とみられ、また隣接地に「天沢林」という字名あり、天沢寺というお寺の旧跡地という伝承がある。小淵池を中心とする一帯は、小淵沢の地名発祥地として語るにふさわしい場所で、政治的・宗教的に重要な地域であったと思われる。

以上のような「小渕の池」の伝承からの説明によると、小淵沢の地名は、「水」を共通とする「小渕」と「沢」とを合わせた地名と考えられる。「小渕」と「沢」を一体に解釈すると、「小さな淵のある沢」という地名になり、沢に小さな淵があることになる。これでは現状の地形に合わない。分離して解釈すると「小渕の池」と「沢」は別々の存在となるので、「小渕池」を小淵沢の地名由来の説明にならない。

このように小渕沢の地名を「小渕池」に由来するという   伝承では、「小渕」と「沢」の関係を十分説明できないので、次回はこの関係を再度考えることにする。

(注1)膳椀が必要の場合、その数を頼むと貸してくれるという沼や淵の話。全国的に分布する。しかし返却しなかった場合、その後は貸さなくなったという。

(注2)常世の国は古代日本で信仰され、海の彼にある一種の理想郷、不老不死・若返りなどと結び付けられた日本神話の他界観。古事記、日本書紀、万葉集、風土記などに記述がある。

小淵沢駅舎・駅前広場整備事業関連ー赤松保存チャリティーコンサート

2012年夏に発行した当誌8号において、小淵沢駅周辺地域活性化計画策定委員会の資料として、北杜市と東京芸術大学の作業体制について触れていますが、その小淵沢駅広場の基本設計や周辺の活性化に取り組む中で、11月2日に東京芸術大学の学生による演奏会が開かれました。

「小淵沢杜の芸術祭 Bach×Celt×Keith 生命力の踊り場 vol.1」と題して、マツクイムシ被害が進むアカマツ林保護のためのチャリティー音楽イベントとして、道の駅こぶちさわ西の揉合神社西側の赤松林で、地域活性と自然保護に働きがけがなされました。

この事業での他の現在の動きは、JRなど関係各所との細部調整が行われています。

自治体と住民それぞれがこの事業に向き合うこと、具体的には北杜市と北杜市民全体が自らの今後に影響のある事業と理解し、施設のあり方や地域の未来像を考えることが、地域づくりの為に求めらることではないでしょうか。

駐在所より 田中富美雄(小淵沢警察官駐在所)ーあんしん あんぜん こぶちさわ

110番の日

1月10日は110番の日です。緊急ダイヤルへの理解と協力をお願いしています。

緊急時は110番、平常時のご相談は#9110番となっておりますのでご活用ください。

緊急☎110

相談☎#9110

 

送り付け商法(詐欺)

注文していない商品を、勝手に送り付け、その人が断らなければ買ったものとみなして、代金を一方的に請求する商法です。健康食品の様なものを送りつけてくる事例が発生しています。家族宛は本人に確認し、分からない物は受け取らない様にしましょう。

 

警察音楽隊  北杜ふれあい演奏会

2月初旬に八ヶ岳やまびこホールにて、警察音楽隊による演奏会が行われます。好評のため整理券入手が困難になっております。詳細は北杜市より発表されますので、ご確認の上ぜひお越しください。

まちこぶ リレー・エッセイ 1ー山麓のこの町で暮らす

八ヶ岳の風に吹かれて

八ヶ岳山麓の森の中に絵本の美術館を開館して早二十一年。美術館経営の傍ら、春先からの庭手入れや山菜採り、さらには秋から初冬まで続くきのこ狩りなど山や自然の恵みと戯れる日々を送っている。これはそれまで三十年続いた東京での生活を考えると想像もできない大きな変化であった。

変化と言えば、私たちがこの山麓の暮らしていたこの二十年間に起こった世の中の大きな変化は何だったろうか?バブル経済崩壊後、新しい方向性を見出だせぬまま低迷を続けた日本社会の中で、私たちの仕事はおろか日常生活までも大きく変えてしまったもの― それは携帯電話やパソコン、インターネットなどによる情報通信手段の飛躍的発達であり、それによる高度情報化社会の到来であろう。今や私たちは全く見ず知らずの人とコミュニケーションを瞬時に行うこともできるし、ちょっとした指先の操作であらゆる情報を手に入れることもできる。私自身は携帯電話やパソコンを持たずにいるが、その代わりにもっぱら娘たちを通した’遠隔操作’で、知りたい情報をパソコンで調べてプリントアウトしてもらったり、欲しい本などがある場合には、インターネットショッピングで取り寄せてもらったりもする。しかしながら、一歩外に出れば豊かな自然が広がるこの高原の町での暮らしの最大の収穫は、そうした物や情報の波に溺れずに済む生活を獲得できたことである。物や情報は、必要な時、必要な分だけあればいいと思えるようになったことである。静かな森の中で絵本に描かれている豊かな想像力あふれる世界や、人間本来が持つ温かいコミュニケーションの世界に触れていると、等身大の自分、あるがままの自分が見えてくる。

山麓にはこれから厳しい冬が訪れる。春が来るまでは次第に人の足も遠のく。それでも新しい出会いはある。この冬はどんな人が私と私の家族が営むこの小さな美術館に訪れてくれるだろうか。

小淵沢絵本美術館・望月平

 

第4回八ヶ岳南麓風景街道ペンキ塗替えイベントー三峰の丘 すてきな眺めをつくってみよう

赤白防護柵などのペンキ塗替えイベントも今回で4回目八ヶ岳の景観を磨く取組として定着しつつあります。

今回は赤白防護柵に加え、ガードレールの景観配慮色茶色化に取り組みました。三峰の丘は、日本の標高トップ3が全て見渡せる場所で、当日は富士山、北岳、奥穂高岳の全てを終始眺めながら作業できる好天に恵まれました。

山梨県塗装工業会の方々、地元の鈴木塗装店鈴木正吉さんら専門家の協力指導のもと、総勢20名での作業でした。おかげで今までで最も良い仕上がりと、感想が集まっています。

本年から協働している、行政担当の方から、作業自体も楽しいと感想があり、今後は更に多くの皆様に参加いただける様に、官学民連携で毎月開かれる定例会議で、検討会議がスタートしています。

第6回八ヶ岳南麓風景街道ワークショップー走って気持ちのよい道路

この地域の豊かな自然、美しい山並みや田園風景に調和した沿道景観をつくっていくために、レインボーラインを観察して、感想や意見を出し合うというワークショップが開催されました。

山梨県景観アドバイザーでもある山梨大学大学院石井信行准教授を講師に、市県国の関係各部署や市議会議員、県内の高校や大学の景観関係の先生方、県警に観光協会に広告協会、看板業者に一般市民まで、様々な方々に集まって頂きました。

警察管轄の交通規制標識、市県国が整備する道路案内標識、民間看板、選挙看板など、官学民それぞれの立場の人が現地視察した後に意見を交わし、現状に対し何が出来るか話し合い、グループごとに発表を行いました。

具体的な内容は、風景街道からの報告をご覧頂きたいと思いますが、例を挙げると、県警だけでなく所轄の警察署がこういった場に来ることも必要であるといったことなどが見えて来ました。

次回は来年度、この結果を元に新たな呼び掛けなどを行い、次の展開を探っていきます。

ひとことネット講座ーネットでまちづくり2(広報)ーブログとSNSの違い

ブログはテーマさえ決めれば個人や組織にとらわれること無く、テーマでまとめていくことの出来る情報発信媒体といえます。

SNSは個人や組織が相互コミュニケーションを行うためのもので、ブログの単発的な記事を元にするコミュニケーションや、画像や動画を元に共感や議論を呼び起こすことができる、ネット上の実社会と捉えることができます。

何れも使い方は向き合った個人の解釈に寄るところが大きくはありますが、そう捉えることで、客観的かつ社会的で前向きな投稿を求められることになります。

プライバシーの設定や、グループの公開非公開などで、更に深い共感を持つ者同士の、踏み込んだコミュニケーションの場としても使うことが出来るのが特徴です。それも実名の延長にあることなので、一定の秩序を持ち、前向きなまちづくり行為の促進につながると言えます。

ブログにしてもホームページにしても、手を挙げて前に出る者だけが目立つ存在として表現する場と言え、実名SNSこそがその中間を取り持つ潤滑油のような、万人が取り組む要素を兼ね備えた、コミュニケーションの道具として、日々使われています。

まちを学ぶシリーズ5ーこだわりの北野天神社の歴史

 小井詰氏の伝承

前回、小井詰氏は、北野天神社の神主であると同時に、小淵沢村の開発領主的な存在として井詰湧水の水利権を通じて地域に政治的影響力を行使してきたことを述べてきた。今回、小井詰氏の伝承を通じて、その姿を考えてみたい。

その伝承のすべてに共通しているのは、漂泊・逃亡して、この地に隠棲するという伝承である。

伝承一 平忠常を平定した源頼信が甲斐国に退在し、永承年中(一〇四六~一〇五三)この地に隠住、安元二年(一一七六)泉原に移り、姓を小井詰と称したという。

伝承二 泉親衡(いずみちかひら)は、建暦三年(一二一三年)鎌倉幕府御家人で信濃源氏の泉小次郎親衡が源頼家の遺児千寿丸を鎌倉殿に擁立し執権北条義時を打倒しようとしたが失敗し、逃亡行方不明となる。親衡は北野神社に隠棲、神主の跡目を継ぐという伝承がある。

伝承三 小笠原分流十三世・吉基は、入贅(にゅうせい)(入婿)し神主になる。初祖小笠原長清より十三世に該当する者に松尾小笠原(伊那)の小笠原宗基が存在する。宗基は戦に敗れ、永正三年(一五〇六)、行方不明となる。宗基と吉基は、「宗」と「吉」の一字が異なるが同一人物の可能性がある。この真偽は別にして、現在も北野天神社の梅鉢の家紋と小笠原氏の三階菱の家紋を使用しており、小笠原氏から北野天神社の神主に迎えていたと思われる。

伝承四 諏訪頼有(すわよりあり)は、応永十八年(一四一一)諏訪上社十一代大祝に即位し、翌応永十九年に北野神社へ鰐口(わにくち)を奉納されたと見られる。ところが、奉納した頼有は、永享元年(一四二九)諏訪を去り、同年甲斐にて死去している。

以上見てきたように、北野天神社には敗残者である隠棲者を迎え入れる伝承が積み重ねられている。加えて、伝承一・二・三はルーツを名門源氏に求め、小井詰氏は貴種尊重の権威を保持してきた家系である。

いったいなぜ、逃亡・隠棲者を保護する伝承があるのだろうか。寺社には、世俗権力を排し、追捕された者を保護する宗教的権威を保持するアジール(庇護聖地)という伝統がある。

北野天神社はアジールという伝統的権威を堅く保持し、隠棲者保護にこだわり続けて来た神社であったと思われる。

このように考えることができれば、菅原道真が祭神として祀られたのは、無実の罪によって太宰府に流された菅原道真を隠棲者の守護神として信仰されたためである。小井詰氏が進藤氏を伴い、京都を追われ、菅原道真の神像を持って来たという伝承が残されているが、久保地区で唯一一軒のみの小井詰姓と進藤姓の置かれた集落状況を見るとあながち荒唐無稽とも言えないような感じがする。

小井詰氏は、源氏の血筋を繫ぎ重ねてきた家門の政治的権威をバックに、逃亡者・隠棲者を保護するという宗教的に高いステイタスを持ち、北野天神社の宗教的権威を村の内外に示してきたと思われる。

正応三年(一二九〇)浅原為頼が禁中に乱入し、その追従者が隠棲し、今井氏(上笹尾)を名のるという伝承があるのは、アジールという価値観が小淵沢地域一帯に共有されていたのであろう。

市民投書ー夢であいましょう

 ペット・ロス

この春、愛犬が死んだ。共に暮らした14年と8ヶ月。例年になく厳しかったこの冬を通り抜け、八ヶ岳山麓にようやく遅い春が訪れようとする時、その春の暖かい陽の光や、やわらかい空気にバトンを渡したかのように逝ってしまった。

15年前、私たちの美術館を訪れる人々を温かく愛想よくお迎えする看板犬にと勝手なイメージを抱いて飼い始めたのだが、これが全く期待に反して、見知らぬ人には必ず吠えてしまうのでお客様の前には出せなくなってしまったのである。これは常に家族を守るために警戒を怠らないという行動だったのだが、いずれにしても美術館の看板犬にはなれなかった。それでも私たち家族に対しては、極めて愛情深く、かつ従順であった。又、人間に対して余りご機嫌伺いすることのない孤高の雰囲気があり、そのことで逆に家族の中では一番の存在感があったように思う。

愛犬の死は私たち家族に痛い悲しみを与えた。私自身も、その死から数ヶ月経った今でも、時折その痛い悲しみに襲われることがある。人の死に直面してもめったに感じたことのないこの心の悲しい痛みは何なのか。

人と人との間の良好な関係は、お互いの愛情や信頼によって維持されるが、時としてそれ以外の複雑な感情に左右されてしまうことも多く、良好な関係を継続、維持するのは本当に大変である。これと比べると人とペットの関係は、はるかにシンプルでしかも真っすぐである。人と人との間にあるような、恨み、妬み、憎しみなどの感情はないと言っていいたろう。あるのは、「愛」と「信頼」の通い合いのみで成り立っている純粋な関係なのである。これは人間の関係で言えば、お母さんと幼子との関係に近いのだろうと思う。だから、愛犬などの死に直面した際の精神的ダメージは、それこそ『ペット・ロス症候群』という病名があるくらい深くて大きいものなのだ。

太古の昔から、犬は人と共に暮して来た。これは、時として邪悪になったり、乱れたりする人の心が、平穏で良好に保たれるようにと神様が人間に与えてくれた大きなプレゼントだったのかもしれない。

小淵沢絵本美術館・望月平